2009年07月の記事一覧
先頭を行くものはすべて正しい
長かったツールドフランスもシャンゼリゼのゴールを迎え、長かった戦いに終止符が打たれました。A・コンタドールが終始余裕を見せながらレースを支配しました。今日の表題は、自転車競技の格言です。
自転車競技は先頭を走ると空気抵抗をまともに受け集団で走るより圧倒的にスタミナを消費します。個人で走るのと集団で走るとのでは、平坦路で時速にして約10キロぐらい変わってきます。集団で走って行った方がスタミナの面では有利です。
レースの間先頭を走っている選手(逃げを打った選手)がゴール前で集団に飲み込まれ惨敗をする光景をよく見かけます。それでも選手たちは逃げを打つことをやめません。(われわれも彼らに声援を送ることをやめません。)なぜなら逃げを打つ、つまり先頭を走ることがゴールに一番近いと知っているからです。勝利こそがすべてなのです。
逃げを打つ選手の多くは、スター選手と呼ばれる実力のある選手ではありません。決してゴール前でものすごいスプリント力があるわけでなく、ものすごい登坂力があるわけではありません。それでも勝利を目指すために逃げを打つのです。
かつてツールドフランスで逃げを打った無名の選手がものすごいタイム差を付けてステージ優勝しマイヨジョーヌ(総合1位の称号)を得たことがあります。山岳コース(急な登り坂や、下り坂のあるコース)でしたが、普段なら集団の力で追いつくはずの逃げでしたが、途中から大雨が降り集団がハイスピードが出せなくなり、ものすごい逃げの勝利を得たのです。最初は無謀な逃げとアナウンサーは言っていましたが、ゴール前でその声が称賛の声に変わったのは言うまでもありません。先頭を行くものはすべて正しいのです。先頭を行かなければ彼に栄誉がもたらされることはなかったのです。
さて話は変わりますが、勉強についての話です。
私自身、スター選手のような実力のある受験生ではありませんでした。直前になって追い込めるものすごい集中力があるでわけでなく、ものすごい理解力があるわけでもありません。それでも大学合格を一つのゴールと考えると、その結果は満足いくものでした。
私がやったことはただ一つ、毎日勉強をやることだけでした。高校1年の時にテストでとてつもない点数を取ってしまい勉強を本格的に始めたのですが、そのころから毎日やるのはなかなか大変でした。基本的に教室で勉強していた私にとって、高校1年生の教室は良い環境とは呼べません。まだ受験モードに入っているわけでなく、放課後や休み時間に勉強している人は皆無で、雑然としていたのを覚えています。そんな逆風の中でも少しでもゴールに近づけるように、必死に足掻いていました。来る日も来る日も毎日です。
毎日といったら毎日です。風邪をひこうが、腹が痛かろうがとにかく毎日勉強です。勉強を休むと集団に飲み込まれてしまい再び浮上できないような気がして。
長文になってしまいましたがどんなに風当たりが強くても目的のために自分のできる全てを出しつくしてみてください。
先頭を切る者は苦労も多いが得るものも大きいです。そして応援する人もみんな分かっています。「先頭を行くものはすべて正しい」と。
理科的な話①~水兵は僕の船を愛する~
今日は理科の話
今日のタイトルに他意はありません。元素記号を覚えるあれです。
前置きはさておき、今日の本題。
中学理科、定期テストでよく出る問題。
理科に限らず、テスト前に重点的に学習すべきところはあると思います。(山を張って勉強するということではない。)その範囲は、各教科によっていろいろだと思いますが、理科はその傾向が顕著です。
理科の場合、学校で実験をした範囲の問題は必ずといって出ます。その実験のプリントやまとめのノートの学習が、ほぼそのまま点数に反映されることは、言うまでもありません。
数学でもほぼ同じことが言えますが、定期テストの問題形式と実際の高校入試の問題形式に大きな差異がない教科だと思います。英語や国語、社会の場合、定期テストの勉強と入試の勉強は大きく違うものになります。
北海道の公立高校の入試問題も、同様に実験をベースに出題されるので、学校の実験について、深い理解をえることは大切だと思います。
麻中の蓬 or 泥中の蓮
タイトルにある言葉は中国の故事です。
「麻中の蓬」は、中国の思想家、荀子が述べている言葉で、麻(まっすぐ伸びることで有名)の中に生えた蓬(よもぎ)は、手を加えなくても、まっすぐ伸びるということ。つまり、すぐれた人物がいる中で育てば、その人物も自然と優れた人物になるということ。
一方「泥中の蓮」は、大乗仏典「維摩経」(鳩摩羅什訳)に記述されているもので、蓮は、泥の中にあっても美しい大輪の花を咲かせるということ。つまり、良くない環境(煩悩、不道徳)にあっても、その環境に染まらずすぐれた人物であり続けること。
今、この記事を読んでいるあなたは、自分は蓬だと思いますか、それとも蓮であると思いますか?多くの人は、蓮であることを望むと思いますが、人間はなかなか弱い生き物です。環境に流され生きていってしまうのが凡夫である私たちだと思います。それならばせめて「麻中の蓬」となって生きていきたいものです。
もしあなたが蓮のような立派な人物であるならば、私ごときができるアドバイスなど皆無に等しいと思いますが、私と同様にまっすぐ伸びることを望む蓬のような人物であれば、少なからずお力添えできると思います。
ここでいう自分でできる最大限の努力とは、ただ自分一人で努力しろと言っているわけでありません。自分でできることとできないことをしっかり見定めて、できることは自分でしっかりやり遂げること。自分でできないことは、他人の力を借りて背中を押してもらうことも、努力といえます。他人の力を借りることは、恥ずかしいことではないし、自分の実力を発揮しきれないことの方を恥じるべきだと思います。「麻中の蓬」とは、そのような人のためにある言葉だと思います。
社会的な話③~書をとりて、町に出よう~
今日は歴史の学習方法の話。
中学生で、歴史があまり得意でない人向けです。
「好きこそものの上手なれ」とは良くいったもので、クラスの中で歴史だけ異常に得意な人がいたりします。いわゆる歴史マニアやレキジョの方にそんな方が多いです。(しかし、得意な年代が終わると散々な結果になることもありますが・・・。)聞いてもいない歴史小噺を、永遠繰り返し聞き手を辟易とさせたり、と対応に困りますが、今日はそんな彼らに歴史の学習の極意を見出したいと思います。
全然勉強をしないで点数が取れないのは論外として、しっかりワークで学習したり、単語帳をを作って勉強してもなかなか点数が取れない。こんな生徒さんは結構います。勉強をしていても、何かが足りない。何が足りないのか?
上記で述べた歴史な得意な人は、永遠と歴史の話を繰り返します。ここで重要なのは繰り返すことではなく、歴史の話ができるということです。彼らの頭の中には、壮大な歴史ストーリーが詰まっており、あらゆる歴史出来事がつながりを持って存在しています。ストーリーで覚えているということは、出来事をつながりとして覚えていることです。話ができるというのは歴史的出来事とそのつながりをしっかり理解しているといえるので、理解レベルとして非常に高い状況です。
では、どうしたらそのような理解レベルに近づくことができるのでしょうか?
教科書を手にとって下さい。
教科書を読んで下さい。
そして
教科書を読んで下さい。
また
教科書を読んで下さい
教科書はワークなどと違い、文章で歴史がつづられています。ストーリーとして歴史を紡いでいる一番身近なテキストといえます。ワークなどでは、出来事の詳しい説明は出ていますが、ストーリーとして歴史を紡ぐということをしていません。単語帳を作っても歴史的出来事のつながりをうまく紡ぐには、相当なテクニックが要ります。
教科書の文章を繰り返し読めば、ある程度ストーリーが頭の中に構築されるので、ワークを解く前に実践してみてください。(但し、教科書を読むと言っても太字部分だけの拾い読みでは意味がないので全文をしっかり読むこと。)
社会的な話②~地図帳活用法~
地理のもっともすぐれて参考書は何か?
この疑問に対して多くの人がこう答えるでしょう。
「地図帳おいて他は無し。」
しかしながら、地理を苦手としている人の多くはこの真意を理解しかねていると思います。地図帳を見ても何を見るべきか分からないというのが実感でしょう。見たところで情報量が多すぎて、覚えるべき情報がつかめないと思います。
新品の地図帳には、そのようなきらいがあると思います。まっさらな地図帳には、どの情報も並列的に並んでおり、地名などの重要度がまったくもって分かりません。ではどのように重要度をわかるようになるのでしょうか?
答えは簡単です。
授業や、テストで出てきた地名や国名にマーカーで線を引くだけです。国境や県境、州境なども分かりやすいように太いペンでなぞって下さい。
ハッキリ言います。テスト、授業で出てきたあらゆる地名は、またテストで出てくるのです。全てといったら全てです。中学生でも、太田市や、常滑市、瀬戸市、宇部市など直接その語句を答えるようになっていないが、問題文中に出てくる地名は確実に抑えていきましょう。テスト中に、聞いたことのない地名が出てくるのと、そうでないのとでは大きく変わってきます。
すべてを覚えろとは言いませんが、マークするだけである程度の場所も分かるようになりますし、地図帳を見返したとき、一度学習した記憶がよみがえってきます。
成績が伸びたが次回のテストで下がる生徒とは
家庭教師の指導でいきなり30点UPしても次回のテストで下がる生徒がいます。上がったり下がったりを繰り返すタイプには、性格的に特徴があります。そこを指導している家庭教師が見抜けるかどうかでも成績が上がり続けられるか違いが出てきます。
見抜いたとしたら、絶えず言い続けることが指導のポイントになります。言ってみたら、『しつこいウザい先生』がその生徒にはピッタリな先生と言えます。
では、どんなタイプの性格の生徒かというと、「考えが甘い。ケアレスミスで点を落とす。見通しが甘い楽観主義。目標や志望校がない。根拠がない自信。今度は頑張ると言うが一向に頑張っていない。努力することが身についていない。」などが特徴です。
このようなタイプだから、本物の学力が付くまで傍で管理監督する先生が必要にになる訳です。身内のお母さんが口やかましく言うとかえって「勉強、勉強とうるさい」と反発します。中学生の反抗期ならなお言うことを聞かなくなります。他人から言われる方が素直に聞きます。
その役目を学校の先生や塾の先生に求めても沢山の生徒を指導しているので現実的には無理なのです。
英語的な話①~漢文と英語の関係~
今日の英語はやや高校生向けの話です。
英語の先生に様々なタイプがあると思いますが、
直訳タイプか、意訳タイプに大きく分かれると思います。
それぞれに、メリット、デメリットさまざまあると思いますが、上位校を目指すならば直訳できる力を身に付けてもらいたいと思います。英作する時の精度に大きな差が生まれてくると思います。
直訳は、日本語として意味をなさないとか、不自然だと、非難されますが、かつて日本が外国語を輸入した時も、不自然な日本語を開発しました。
漢文です。
漢文は、中国の言葉で書かれた文章ですが、決して中国語でなく、日本語で読みます。
漢文独特の言い回し(須く・~するところのものなど)は、本来の日本語(やまとことば)にない表現で、日本語と、中国語の意味の差分をうめるために必要とされて、生まれました。日本語と中国語は表現できるものが違うため、新たに、日本語の文脈にない不自然な言葉が必要とされたのです。当時の日本において、中国語を日本語に正しく正確に変換するというのは、そのまま中国の進んだ政治体制を正しく正確に取り入れることと同意と考えるのは想像に難くないと思います。そのような国家プロジェクトで生み出されたものなので、その必要性の高さは言うまでもありません。
ネイティブで、英語文脈を体得している人ならいざ知らず、われわれ日本語文脈で生きてきた人間は、英語と日本語との意味の差分を埋めるための不自然な表現を使わずして、どうして正しい変換(和訳・英訳)ができるといえようか?
いや、言えない。
話は変わりますが、かつての日本の首相「幣原 喜重郎」(しではらきじゅうろう)は、英語にとても詳しいことで有名で、3ヶ月間で英語が使えるようになったと聞きます。彼の学習方法は、英字新聞を和訳して、その和訳した文章をまた、英訳するというものでした。その目指すところは、元の英字新聞と一言一句違わない英訳をすることだと思います。政治という魑魅魍魎が住み着く世界で、外交官として活躍した彼が必要としていた英語のレベルは、私のような凡人の想像をはるかに超えるものだと思います。そんな彼が、ある意味愚直といえる学習方法をとっていたのは意外です。
ということで、たとえ不自然な日本語になっても直訳ができる能力というのは大切だと思います。
さあ、今日から胸を張って直訳してみましょう。(テストにあまりにも直訳過ぎる文を書くと、正答とみなされないことがあるので、注意して下さい。)

